館長日誌

糸魚川出撃報告

なかなか土日に休みが取れない私目はマイカーなるものを所有してても例のETC割引の恩恵にあずかれない訳ですが、昨日23日は勤労感謝の日ということでチャンス到来!前日まで天気予報と睨めっこが続いていた訳です。

しかしながら日本列島は晴れ基調、唯一終日曇りマークは新潟エリアしかないとなれば行くっきゃない。前々からキハ52を撮らねばと計画だけは立てていた作戦を実行です。
この作戦を立てたのは2ヶ月位前。いざ行こうとしたら何やら全車にまん丸のヘッドマークが付いているというではありませんか。敢え無くボツとなっていました。

午前4時起床で車に乗り込みいざ出発。東名岡崎インターから入って東海北陸道から北陸道を通って糸魚川インターまで350km5時間の行程でした。東海北陸道って途中から1車線の対面通行なんですね。白川郷辺りは氷点下になっていて両脇の斜面は真っ白でした。

BGMに鼻歌まじりで快調に運転していましたが、夜も白み始めてからはとても嫌な感じ。空は雲一つない快晴。これが日本海?ってな感じで白く荒々しいイメージの海(あくまで個人的イメージです)も穏やかで青く輝いていてまるで太平洋を見てる感じです。糸魚川インターを出る時には完全に負け戦を覚悟しました。

ガストで朝食をとりながらこうなったらあせってもしょーがないと開き直り、事前にネットで検索していた日帰り温泉に行くことに。インターから程なくあるその名は「ひすいの湯」。糸魚川はヒスイの産地なんですね。館内は地元のおじーちゃんやおばーちゃんで賑わっています。結局ここで14時位まで過ごしてやっと雲が流れてきたところで駅へ向かいます。15時から16時にかけてのわずか1時間でしたが、太陽が雲に隠れて撮影タイム。何とかキハ52を抑えてまた350kmの帰路に着きました。お土産はやはり「ますのすし」でしょ。

写真は今も現役で使用されているレンガ庫。でもこのレンガ庫のすぐ傍まで北陸新幹線の工事が進んでいます。地元では保存の要望もあるようですがどうなるのでしょうか。


糸魚川駅

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  1. 2009/11/24(火) 08:42:04|
  2. 撮影
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祝4000

気が付いたらカウンタが4000を超えてました。こりゃ目出度いと思って何か記念の画像はないかいなと自分のネガ記録など検索しましたがない。ということで他力本願な私目は人様の画像を探します。

するとやはりありました。1000回の時もお世話になった永島先生の画像からやはりチキでズバリトップナンバー。チキ3000を短軸にしたヤツで戦時下で作られた長物車です。末期は仙鉄の長町でレール運搬用の事業用車代用となっていたようです。いずれ本編でもご紹介したいですね。

チキ4000

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  1. 2009/11/21(土) 00:26:49|
  2. 過去モノ
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国鉄事業用車博物館 10/30更新

久々に「国鉄事業用車博物館」を更新しました。
いくつか画像を追加したりしてるんだけど、特に3軸ボギー配給車であるスル29950を一気に5両全車コンプリートしたのが今回の目玉。

木製といえどもそこは3軸ボギーを履いた20m車、その前歴を辿れば一等寝台やニ等寝台の優等車両であり、大正時代に颯爽と東海道を急行列車として走っていたわけですな。
しかし栄枯盛衰は世の常、昭和に入ればその地位を鋼製車に奪われ荷物車や病客車に転落、最後は事業用車となるわけです。
そんな車歴調査も事業用車研究の醍醐味であり、貴重な画像と合わせてご覧頂ければ幸いです。

下の画像はそんなスル29950が履く美しき3軸ボギー初期のTR71です。筏井満喜夫氏が1956年に隅田川用品庫で撮影されたもの。縦羽目の木製腰板にも魅了されますね。

TR71

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  1. 2009/10/30(金) 19:22:20|
  2. サイト更新
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モハ52004

いや−、ずいぶん独り言を書くのをサボってしまった!でも決してメチャメチャ仕事が忙しかった訳でもなく、私事において何か事件が起こった訳でもありませぬ。やはり性格的にブログなんてものは所詮合わないってことですかねぇ。

それでもちゃんとテツ活動はやってますよ。最近のデジタル形式写真館の更新を見てもらえばわかるように福知山の183系がそろそろやばいってんで2度ほど撮り直しに行ってます。何とかクロの2751番をやっつけなければなりません。

晴れの日はきっぷ消化で大阪の交通科学館へも行きました。昔の交博ののようなチョット陰気臭いシロウトを受け付けない雰囲気の図書室はハマりそうです。

さて、画像の方はモハ52004 in京都です。奥野利夫氏が昭和24、25年位に撮影されたもので、戦後の急電復活時のものですね。いわゆる「アイスキャンディ」色と呼ばれた姿です。

よーく見ると側扉横の戸袋窓に何やら英文字が・・。そう「OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES」と標記されています。まさに占領時代の日本の姿の記録です。あれれ、台車も本来のコロ軸DT12Aではなく平軸のDT12のようですね。

この車、奇跡的に保存されています。そう今話題の飯田線の「佐久間レイルパーク」で見ることが出来ます。11/1に閉園するとのことですのでまだ一度も行ったことが無い方はお早めに。




モハ52004
  1. 2009/10/14(水) 01:23:06|
  2. 過去モノ
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病客車さらなる考察

病客車についてさらにいろいろ考えてみた。風呂に入ってもトイレに入っても頭の中は病客車である。

まず35250形がデビュー当初巷で云われているスヘフではなく、スヘだった可能性について。公報号外での記載がスヘ(車掌室付)となっていたことに端を発したこの問題ですが、まんざら有り得ないことではないことに気がついた。その根拠はあの有名な達第380号、そう昭和3年の大改番、車輛称号規程の改正である。

(以下引用)
展望車、病客車、郵便車、荷物車以外ノモノニシテ車掌室ヲ有シ且手用制動機及車掌弁ノ設備アルモノニハ「緩急車」ナル名称ヲ附加ス・・・「緩急車」ナル名称ヲ有スルモノニハ「フ」ヲ末尾ニ附加ス
(引用終わり)

つまり展望車の例でわかるとおり、例え緩急設備があっても記号「フ」は付けない慣わしなのだ。実際に従来の木製病客車には車掌室の設備があったものがほとんどだが記号「フ」は付けてない。仮にこの規程が昭和13年当時まだ生きていたならば当然スヘフとはならないのである。逆にその後スヘフと変更した経緯についてはさらなる調査が必要になってくるが、これについては昭和14年以降の公報に何らかの記載があることに期待したい。

さらに等級区分についてもこの車輛称号規程から仮説を立てることが出来る。その第5條によると、
(以下引用)
用途 左ノ種別ニ依ル、二種以上合造ノモノハ次ノ順序ニ重ネテ用ウ
(引用終わり)
とあり、一等や二等などの各等級が定められているのは座席車と寝台車だけである。つまり一等寝台車「イネ」は上等な寝台設備を有する寝台車ということになるが、一等展望車「イテ」は一等座席車と展望設備(一等客専用のフリースペース)の合造車という解釈になるわけだ。もっとわかりやすい例でいうと一等食堂車「イネ」は食堂自体が一等なのではなく、半室が一等座席で、もう半室が食堂ということになる。

さて、ということは「イヘ」一等病客車というのは一等座席と病客設備を合わせ持った車両を指し、確かに形式図で確認するとベッドが置かれた病室と長手腰掛を有する一等客室に分かれており、外観写真でも等級帯がその客室部分にのみ巻かれている様子が見てとれる。

また軍用病客車登場以前に唯一この等級を付けていない病客車が存在していることがわかった。ホヘ9840形という木製雑形客車がそれだが、室内はまさに走る病院といった感じで後の保健車そっくりの構造である。薬局や診療台が設備されている車内は他の病客車とは明らかに用途が異なるようで合造車とはみなされなかったのであろう。軍用病客車が等級を付けず「ヘ」だけとなったのも全室が畳敷きの病室だったからとすれば合点がいく訳だがいかがなものか。

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  1. 2009/09/13(日) 00:19:11|
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横山@館長

Author:横山@館長
事業用車を探究するかたわら形式写真を撮影している鉄オヤジです

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